昭和36年、私たち家族は郊外に新たに建設された団地に引っ越した。
「夢の公団住宅」と呼ばれた憧れの団地。当時2歳だった私の記憶にはないが、両親は落選にもめげずに応募はがきを送り続け、やっと当選したのだという。
そんな夢の団地暮らしにもすっかり慣れ、故郷のような愛着を感じ始めた頃。小学6年生になっていた私は、生まれて初めてサイフォン式コーヒーというものを知った。
「え、どうなってるの、これ。理科の実験器具みたい」
「そう思うだろう?実はコーヒーを淹れる道具なんだ」
父はニヤリと得意気な微笑をもらし、居間のテーブルの上でフラスコとロートをセットする。台所では、母がコーヒーに添える生クリームをカシャカシャと泡立てていた。
私たちの賑やかな様子が気になったのか、思春期真っ只中の高校生の兄もひょっこりやってきた。
家族全員がこんな風に顔を揃えたのはいつぶりだろう。
「今日はこれを使いましょう。特別にあつらえたのよ」
母はそう言って瀟洒なデザインのカップ&ソーサーをテーブルに並べ、少しいたずらっぽく、でも慎重な手つきでカップを逆さまにしてみせた。
「あ、うちの名前が書いてある!」
カップの裏には、なんと金色の文字でファミリーネームが刻まれていた。窓から射す冬の午後の光に文字がやわらかく煌めき、とても満ち足りた気分になった。
サイフォンから注がれたコーヒーが、我が家だけのオリジナルのカップの中で誇らしげに波打つ。私は、その水面にそっと生クリームを浮かべた。
飲み終わってしまうのが惜しくて、ちょっと口をつけては生クリームを足しつつ、ゆっくりゆっくり時間をかけて味わった。
あたたかな湯気と、家族みんなの明るい声が交じり合う。普段は父に対して距離を置いていた兄も、照れくさそうな笑顔で会話を楽しんでいたのを憶えている。
あの日のコーヒータイムは、私たち家族にとって特別なものだった。それは物質的な贅沢だけでなく、家族と過ごす豊かな時間という心の贅沢も含まれていたからだろう。
あれから50年。もう団地には住んでいない。残念ながらサイフォンもすでに手元にないが、ファミリーネームの入ったカップ&ソーサーは、一戸建てを建てた時に新しい食器棚へ移し、今も大切に保管している。
今度、そのカップ&ソーサ―を久々に3つ準備して、父と母の分もコーヒーを淹れよう。そして一緒に懐かしい思い出話をしよう。…天から微笑んでくれるかしら。
本エピソードは、AGF®パートナー 黄色いうさぎ さんの体験を基に執筆しました。
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