もう半世紀以上も昔の話。
当時高校生だった私は、2つ下の妹と泊りがけでスキーに出かけた。大人の付き添いがない、姉妹だけの旅行は初めてだった。
まだスノーボードがない時代だから、ゲレンデはスキーヤー一色。
長いリフト移動の後、雪煙を舞い立てて滑り出すと、麓まであっという間だ。楽しい時間があっさり終わってしまうもどかしさも手伝って、妹と競い合うように滑走を繰り返した。
日が傾きかける頃にはさすがにくたくたになり、どちらからともなく「戻ろうか」と声をかけて宿に向かった。
「…行きはよいよい、帰りは怖いだね」
自分の背丈よりも長いスキー板を肩に担いで、宿につながる薄暗い雪道を歩く。頑丈な金具の付いたスキー靴はずっしり重く、一歩踏み出すたびに足元の雪がきしきしと音を鳴らす。汗をかいた体が急速に冷え、心細さが押し寄せてくる。交わす言葉も次第に少なくなっていった。
どれくらい歩いただろうか。ようやく宿の灯りが見え、ほっと胸をなでおろす。玄関先でスキー靴に付いた雪を払って中へ入ると、受付のおばさんがやさしい笑顔で迎えてくれた。
「寒かったでしょう。こっちにおいで」
おばさんはそう言って、食堂兼談話室の真ん中で幅を利かせている「だるまストーブ」の前へと誘う。囲炉裏のように四方を木枠で囲んだそのストーブの上には、大きなやかんが乗っていて、しゅんしゅんと蒸気をあげていた。
かじかんだ手をかざしていると、おばさんがやかんのお湯で2人分のコーヒーをつくってくれた。
「さぁさ、熱いうちにどうぞ」
「頂いてもいいんですか?ありがとうございます!」
思わぬおもてなしに感激しながら、妹と並んでマグカップにそっと口を付ける。
それは、砂糖がたっぷり入った甘い甘いコーヒーだった。飲み進めるほどに、疲れと寒さでこわばっていた体がやわらかくほどけていく。
「ふぅ。あったまるね、おいしいね」
安堵のため息とともに、自然と笑みがこぼれる。
なんてことない普通のインスタントコーヒーだったのだが、「世の中にこんなにおいしいものがあるのか」と感じた。そんな私たちの様子を、おばさんがうれしそうに見守っていたのを憶えている。
かけがえのない青春時代の思い出の一杯。
あれからいくつも歳を重ねたけれど、あの日のコーヒーは、私の心の中で今もあたたかな湯気を立てている。
本エピソードは、AGF®パートナー りんご さんの体験を基に執筆しました。
感想や、こちらを読んで思い出したあなたのエピソードなど、コメント欄からお寄せください!